横山春光 メディアでの紹介
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NHK BS1「関口知宏のファーストジャパニーズ」
(2010年3月7日放送)
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2010冬、中国留学を終えようとする様子を、NHK BS1「関口知宏のファーストジャパニーズ」より長期取材を受ける。
また、同番組において、当会の名誉会長である麻林城老師の取材も同時に行われ、深遠なる中国武術八卦掌の演武と、厳格な師弟関係のについての取材が行われた。
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[太極拳の発祥地・河南省温県陳家溝にて]
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[陳家溝の太極拳館で子供達と交流練習]
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[河南省 表演服工房にて]
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[北京市 行きつけの中国茶館で]
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[取材最終日 麻老師とクルーの皆さん]
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[陳家溝にて太極拳の撮影]
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[北京市にて八卦掌の撮影]
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 読売新聞
(2006年11月16日)
美しさスキなし
太極拳、中国の大会で「金」
館山市布良を本拠に太極拳の修行を積み、2年前から本場の中国に私費留学している横山春光さんが、今夏に中国・河南省で開かれた「陳家溝国際太極拳大会」(同省武術協会主催)で金メダルを獲得した。
現在、28日までの日程で一時帰国し、東京や神奈川など首都圏の太極拳教室で「国際レベル」の技を披露している。
河南省での国際大会は8月17〜20日に開かれ、横山さんは女子・陳式太極拳単剣の部で、並み居る中国の強豪を抑えて金メダルを獲得した。「筋力不足を補って余りある演技の美しさは、中国人もかなわない」と審判団をうならせたという。この快挙に師匠の山口禅師も「太極拳発祥の地で、日本人が認められたのはすばらしい」と喜んでいる。
横山さんは目下、太極拳の“兄弟分”にあたり「易」の理論に基づく武術でもある「八卦掌」にも取り組んでいる。
11月16日、館山市北条のコミュニティセンター。太極拳を学ぶ約20人の生徒たちが、約30分間にわたる横山さんの模範演技を見守った。ある生徒は「しなやかな動きに圧倒された。外見は武術家に見えないのに、構えると一点のスキもない」と感心した様子だった。
「小さい頃、野山を駆け回っていたから、運動能力はあったと思う。太極拳は天と地のエネルギーの合体。次第にその感覚を体感できるようになっていった」と振り返る。


 河南商報 (2007年11月30日)
中国へ夢を求めてきた日本人
私が彼女のインタビューをはじめた時、目の前に座っている彼女の31歳という年齢をにわかには信じられなかった、とうに夢見る年齢は過ぎた頃だ、しかし彼女は未だに夢を持ち続けている。彼女の目が好きだ、純粋で強い目、話をしない時のふとした表情に引き付けられる。
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毎日早朝7時、彼女は金水河の辺で八卦掌の練習をしている、そして午前9時彼女は金水路の太極拳館へ現れる、午後は文化路のヨガ館で瞑想にふける。
単調な毎日、このような生活を彼女はなぜ3年も続けてきたのだろうか?
OL生活から太極拳との出会い
彼女が始めて太極拳に出会ったのはウェブデザイナーとして会社勤めをしていた25歳の時。当時彼女には十分な収入があり、安定した生活、毎シーズン新作の美しい洋服をいつでも買うことのできる余裕があった、しかし彼女の心は幸福ではなかった。

若さ、恋愛、豊かな生活、一般の女性なら青春を謳歌するような条件があっても、そのどれも彼女は楽しむことができない。

それは彼女の幼い頃の経験と関係があるのかもしれない。3歳の頃両親が離婚、彼女は毎晩のように1歳になる弟の世話をしながら暗闇のなか仕事を終えて帰宅する母を待っていた。そして周囲の嘲笑と差別の目の中、彼女は恐怖の中で、一人の孤独だが気質のある少女へと成長していった。

18歳で九州から上京、彼女は必死にアルバイトをしながらロックバンドを組んで活動していた、心の中にずっと秘めている思いを表現するためだった。しかし彼女が幸福になることはなかった、時おり幸福な出来事があっても彼女の心は恐怖を感じるのだ。まるでお腹が空いていることに慣れてしまった子供のように、ある日突然だれかが大きなケーキを持ってきて「さあ、お腹いっぱい食べてもいいんだよ」と言っても、無意識に恐怖を感じ逃げ出してしまう、彼女が無条件に幸福を受け入れることはなかった。

当時、彼女は不眠の日々を送っていた、毎晩のように悪夢を見た、全身恐怖の汗で目覚めると、窓の外は真夜中の東京、空一面の孤独、果てしない暗闇の中、胸一杯の孤独を抱きしめ彼女はベッドへ横たわる。

そんなある日、彼女が仕事の昼休みに階段の踊り場で空を見上げると、その日はきれいな青空だった、温かい空気に穏やかな秋の日差し、久しぶりに深呼吸をして背伸びをしてみる、「なんて気持ちのいい空だろう」体中の細胞が深呼吸をしたとき、ふと思いついた、それが太極拳だった。
禅寺での修練
その後、彼女の生活は一変した。日中は以前と変わらず会社勤めを続けたが、家に帰ると今まで忙しさに感け粗雑にしかできなかった家事をゆっくり丁寧に行うようになった。ゆっくりと食事の準備をし、ゆっくりと食べる、ゆっくりと部屋の掃除をし、ゆっくりと休む。そんなゆるやかな生活の中、彼女の心は少しずつ平安を取り戻していった。そしてある日、彼女の心に突然静寂がおとずれた、澄み切った静寂の中に現れたものは沢山の感謝の気持ちと喜びだった、彼女は始めて本当の幸福を知ったのだった、しかしそれらの感覚がどこからきたのか彼女はわからなかった。

彼女はそんな生活を続けた、いつものようにベッドの上で瞑想をしているといつものように心の静寂がおとずれた、「その音」を彼女が初めて聞いたとき、永遠と繋がる音、彼女はやっと自分の人生の全ての出来事の意味がわかった。
驚いて目を開けると、そこはいつもと変わらない自分の部屋だ、しかし彼女は既に知っていた、「この世界の全てのものは祝福されているんだ!」彼女は彼女の太極をみつけた、そして二度と理由の分からない恐怖に負け死にたいと思うことはなくなった。

それから暫くして、彼女は富士山のふもとで毎年行われる太極拳合宿に参加した、幼い頃からスポーツとは無縁で普段からカジュアルな服を着るという習慣のなかった彼女が、流行の服装に身を包んで集合場所へ現れると他の参加者は目を丸くした、しかし彼女は一向に気にせず偉い太極拳の先生が訪れるという期待に胸を膨らませていた。
現れた禅僧でもある太極拳家の先生の柔らかく雄大な動き、そして各先輩たちの熟練された動き、そのどれもが彼女にとって感動と興味を覚えた「これならきっと私の感じたあの音を証明できる」

そして彼女がもっとも注目したのが、後に彼女の太極拳の師となる山口禅師の顔である、それまで彼女が見たことのある美しい顔とはまったく種類の違うものであった、善の美、そして双眼に湛えるやさしい光、彼女の遠い記憶の中の父親の光と重なった。
太極拳合宿が終了した後、彼女は山口禅師とお茶を飲む機会に恵まれた、「あなたはその若さで何故太極拳がそんなに好きなんですか?」そんな問いに彼女は答える、幼少時代の思い出、恐怖、心の影、そして瞑想の中に見出した希望の光。最後に山口禅師はこう言った「太極拳はただの健康法だけではありません、一種の精神修練です、お寺へ来て学んでもいいですよ」
中国太極拳への夢
こうして彼女が山口禅師の元、禅寺で太極拳と禅の思想を学び2年が過ぎた。ある日山口禅師は彼女にこう言った「あなたは今では体も丈夫になり、心も元気になりました、社会へ戻ってもう一度あなたのやりたい仕事を探してみてはどうですか?」彼女は応えた「私がやりたいことはただ一つ、私の太極を証明することです」

そうして師の許可を得た後、彼女は中国へ渡った。

最初に訪れた北京の太極拳武館では彼女は暖かい歓迎とともに迎えられた、しかし言葉が通じない、「謝謝」(ありがとうございます)、「不要謝!」(ありがとうと言う必要は無い!)実際はどういたしましての意味だが彼女にはわからない、相手を怒らせたと思いあわてて彼女はあやまる「対不起」、すると相手は言う「不要説対不起!」(あやまる必要はない!)、言葉というよりも中国人の雰囲気がつかめないのだ、ある日彼女は武館の老師の元に学費のことについて質問しに行った。「先生、今月の学費はいくらになりますか?」老師は「随便!」(いくらでもいい!)、彼女は困惑する、いくらでもいいって一体いくらなんだろう?
太極拳の動きは眼で見ても憶えられる、しかし内面のものは言葉が通じないと学ぶことができない、彼女は昼は武館へ通い必死に練習し、夜自分の部屋に戻ると必死に中国語を勉強した。

一年後、彼女は日常生活と授業に足りる分の中国語力を身につけ、太極拳の発祥の地である中国河南省へ向かった。

昼間は中医学院で按摩を学び夜は拳館で太極拳を学ぶ、河南省の太極拳は北京とくらべて更に専門的で体力への要求も高かった、慣れない方言、北京のような大都市と違う地方の習慣、集団クラスの授業では教練の言葉が殆ど聞き取れない、どうしても周囲と馴染めない、北京で培った自信は数週間のうちに跡形も無く消えてしまった。

ある日、彼女がいつものように太極拳館の入り口にたどり着くと、突然体が震えだした、怖い、練習に行くのが怖い、そんな弱気を押し切って授業に出る、体が硬直する、動いても動いても体が冷えてくる、ついに泣き出してしまった彼女に教練が声をかけた「どうしたの?手助けが必要ですか?」うつむいて頭を左右に振ることしかできなかった彼女は、黙って拳館から逃げ出した。
部屋に戻り日本の山口禅師に電話をかけ、もう続けられそうにないと訴える、いつも耐えるように励まし続けていた山口禅師も今回は多くを語らなかった「耐えられないのなら日本に帰ってきたらいい、今のレベルでも日本で普通の太極拳の教練になるには十分の資格があるから」

彼女は荷物をまとめるとまず北京へ向かった、途中何度も彼女は迷っていた、「本当にこんな中途半端なままで諦めてよいのだろうか?」冷静になり思い返してみる、遠く離れてみて改めて目標の大切さが身にしみてきた、難しい、だからこそチャレンジのし甲斐がある!

二週間後、彼女は河南省へ戻っていた。

こうして三年間苦錬の日々を送った彼女は、現地の仲間とも打ち解け標準語と方言を使い分けれるほどの語学力を手に入れた、そして四回に渡る太極拳の大会に参加し三度の金メダルと一度の銀メダルを獲得した。
数々の試練と挫折を乗り越えた彼女は、その後ヨガの瞑想による心の平安と、八卦掌を通じて表現できるしなやかな精神と身体を学ぶ機会に恵まれ、小柄で細身の外見からは想像できない強さと大きな精神を手に入れた。

そして、帰国を決意した彼女はこう語った「日本にはたくさんのストレスと不安を抱えた人たちがいます、私もその一人でした、そして私が中国で学んできたことは全てみんなの役に立つことです、帰国したら是非この素晴らしい文化を日本に伝えたいです」


サンデー毎日
(2011年12月6日)
〜日本中国伝統功夫研究会〜
「本当に充実した人生とは?」
「太極拳・八卦掌を伝える女性の流儀」
・PDFファイルでご覧になりたい方はこちら

経済至上主義的なあり方には行き詰まりを感じてしまった---。そのような人も多いのではないだろうか。

同じ考えを抱き、太極拳の世界に飛び込んだ女性がいる。日本中国伝統(コンフー)研究会の会長を務める、横山春光先生だ。

「太極拳には中国三大思想である仏教、儒教、道教の全ての要素が含まれています。太極拳の特徴は、体と心の統一を図ることで、その思想を自らの心身で体言できることです」(横山先生)

現在では、吉祥寺、恵比寿、銀座、千歳烏山、たまプラーザ、高津、新木場の7カ所で教室を展開している。1クラスは10人前後の少人数制で、1回あたり2時間程度だ。受講者の層は20代〜70代と幅広く、主婦から仕事帰りに受講する社会人まで様々。男女比も半々くらいだという。

もともとミュージシャンを目指し、高校卒業後に上京した横山先生。その夢が破れ、一度はOLになったものの、物質的には満たされても、苦しさを感じる日々だったという。その時に出会ったのが太極拳だった。当初は太極拳家である日本の禅の僧侶に師事していたが、「これこそ自分の求める道」と感じた横山先生は、一念発起し、中国留学を決意する。

中国武術の拳種は外家拳と内家拳に分けられる。内家拳に分類されるのは太極拳・八卦掌(はっけしょう)・形意拳の3つだ。6年間にわたる留学中に、横山先生は太極拳に加え、八卦掌も修めることとなる。北京郊外に在住する麻林城(まりんじょう)老師に師事し、真の八卦掌とは、ただ疲労する鍛錬ではなく、心身を養い、自然と共に生きる術であると教えられ、深く感銘を受ける。

「太極拳や八卦掌を学び、健康になることがゴールではありません。教室は、共に真摯に取り組む仲間と交流し、人格を磨き合う場。ここで得たエネルギーを、現実の世界で生かすことが大切です」(横山先生)

ちなみに、中国武術と功夫は混同されがちだが、功夫は本来、中国語で「職人の技量」という意味を指す。

指導者養成・他分野との交流も
“素直に生きること”

今後は、日本と中国の老師達から学んだ技術・精神を伝えていける指導員の養成にも力を入れていきたいという横山先生。また、他分野のリーダー達と交流し、新たな発想・表現方法を開拓していきたいという思いもある。
「社会についてより知見を広めたい。それは、自分が現代日本で太極拳や八卦掌を伝える真の意味や価値を見出すことにも繋がると思います」

横山先生は自身の流儀を次のように話してくれた。
「“素直に生きること”が大切。自分の価値観に正直であってこそ充実した人生を送れるのですから」

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